エッセイ エッセイのバックナンバー

「奥さんも写真を撮るんですか?」とよく質問されます。私はもっぱら備忘録としてiphoneで撮る程度です。旦那と結婚するまで自分でカメラを買ったことすらなく、普通のOLだったのでカメラマンという職業や写真業界のことなど何も知りませんでした。初めて一緒に海外へ取材旅行に出かけるときスーツケースいっぱいのポジフィルムを見てびっくりし、また旅行先で私が景色に見とれているほんの数分の間に旦那は36枚撮りのフィルム1本撮り終えていたのにも驚いたものです。

私のなかのカメラマンというイメージはスタジオでモデルさんを撮るとか記者会見のような報道関係とかそんなくらいの知識しかありませんでした。ですから旦那のような自然光にこだわるスタイルで撮影する写真家というものを初めて知ったのでした。連れ添って23年、生活のに中に写真があることはもう日常になりましたが。

話は変わって最近は自宅で写真教室をやっています。旦那の写真は女性受けするのかいらっしゃる方は女性が多いです。本人の容貌からちょっと想像できないかもしれませんが。過去に「山の撮影は大変でしょう?」とか言われたこともあります。たぶん山岳写真家だと思われたのでしょうね。(笑)うちの教室にやって来る方は趣味の人、プロ志望の人、プロになれるかどうかを相談に来る人いろいろいます。話をしているうちになんだか人生相談のようになることもあるらしいです。

そんな方々のことを見聞きしているとあらためて写真を撮ることは意外と簡単ではないということを感じます。これだけカメラが普及してネコも杓子も写真が撮れる時代、押せば写るしデジタルカメラなら失敗をしても何度でも撮り直しができるし、気軽で経済的で楽しいですよね。ところが写真の良し悪しについてはどうでしょう?景色をきれいに撮りたい!料理を美味しそうに撮りたい!でも実際撮ってみると自分のイメージと違う。他人に写真を見せたときに感動が伝わらない。そう考えるとけっこう難しいと思います。世間的には写真は歴史が浅いせいかアートという認識が薄い感じがします。実際に他の芸事の先生から「写真はボタンを押せば写るから芸術とは呼べない」と言われたこともあります。それはそうなんですが、、、

よく写真は他のアートとは違って「瞬間芸」だと言います。浅井慎平さんは「写真はスポーツだ」とも言っています。旦那はイチロー選手に例えてこんな風に言います。「常に野球のことを考えていて練習や準備を念入りにし、いざバッターボックスに立ったときにはそれらをすべてを忘れ、心を無の状態にし、あとは体が自然に動くに任せる」と。つまりそれを写真に例えるなら、撮影前にはあらゆることを想定しイメージを湧かせ、いざ本番ではすべて忘れ心を無にします。そしてこれまでに培ったテクニックや経験を活かし瞬時に自分のイメージ通りに表現します。そういう意味ではスポーツに近いということです。しかも写真の場合はアートだと思うので無心になったときに何か心の深層(無意識)の中に創造の種があり、それを探す作業をしているような気がするのです。旦那の場合はいつも自分の作品を撮るときに「子供の頃に見た風景」(原風景)を探すと言います。もしかしたらこれは臨床心理学の河合隼雄さんが本にも書いている「創造的退行」かもしれません。普通の人にもたぶん似たようなことはあると思いますが、創造的な人々は創造活動が活発なときに顕著にこの現象が起きているそうです。つまり意識的にいろんなことを考えたあとに疲れたりして無心になったときに思いがけない発見や表現が生まれると。退行とは大人の心の状態が子供の頃に帰るということで、なぜかというと子供には想像力があるからだそうです。そしてそれを確実に有用なものにするには再び意識的な活動(大人の知識や技術)が必要なのだそうです。

そういえばうちの旦那いくつになっても子供っぽい!でもこれは創作活動をするのにはけっこう役立ってるのかも(?)しれませんね。実生活ではちょっと困りますが、、、

写真家 野寺治孝
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