エッセイ エッセイのバックナンバー

H(野寺治孝) J(純子)

私の写真家人生の中で知る限り(カメラなどのハード面)で大きな変革がこれまでに2度ありました。まずは1988年頃のオートフォーカス(AF)の出現です。それまでは手動でピントを合わせていました。いかに速く正確にピントを合わせられるかが優秀な写真家の条件でした。その当時私はミノルタのAFカメラを使っていましたがピント合わせが遅く、時にはピントが行ったり来たりでそれなりにしか使えませんでした。そんなある日、友人がキヤノンのEOSを買ったといって私に見せてくれました。スムーズに動くUSMのレンズにはびっくりした記憶があります。さっそくすべての機材をキヤノンに替えました。それからはピント合わせの苦労から解放されました。

次に来た波はデジタルです。その当時のプロカメラマン仲間の会話は「フィルム代、現像代がかからないうえに何百枚も撮れる。自分のパソコンで色調整ができる。複製がいくらでも作れる。要はコストがかからない。→儲かる」だったんです。ところが「儲かる」の部分だけはまったく逆でしたね。というのも誰でも簡単に写真が撮れるのでプロを使う必要がなくなってしまったのです。あったとしても価格は下落しました。実際にはプロとアマチュアとの間には明確なクオリティーの差があるんです。しかしそのクオリティーにもほとんどのクライアントはこだわらなくなりました。コストパフォーマンス優先という点で。そしてプロはだんだん廃業へと追い込まれていきました。

それからまた近々最大の変革の大波が来るでしょう。それは「写真が無くなる!」、具体的には「動画が写真になる」ということです。ビデオの動画が4Kから8Kになります。そうなったら何でも動画で撮っておいてその中からベストな1コマを抜き出し写真にすればいいのです。8Kがどれくらいのクオリティーかは現時点では正確にはわかりませんが、雑誌程度の印刷物ならば問題ないと言われています。そうなったらカメラはいりません。決定的瞬間なんて言葉も死語ですね。極端な話、この世からNG写真がなくなります。(笑)そうなるともう写真家はいらないってことです。ところが実は写真と動画って似ているようで違うんです。写真は点でとらえ、動画は線でとらえます。動画は動いているので背景にはあまり気を使わなくても見ていて気になりません。ですが静止画である写真の場合はじっと見るとアラがよく見えてしまうので画面の隅々まで気を使わなくてなりません。

でもそもそも動画写真を撮るのって楽しいでしょうか?「いい写真が撮れるのならテクノロジーを最大限に活用すべきだ」「いや、機械が撮ったようなものは写真とは呼べない。単なる映像だ」等々。たぶんこの議論には答えはないと思いますが私はこう思います。「8Kカメラが適正な価格でクオリティーが高いのであれば使ってみたい。特に仕事ならば結果がすべてだから。しかし写真家として作品にある種の思想や思いを入れるのであればあくまでも1枚1枚撮るの写真にこだわりたい」なんだかどっちつかずの当たり障りのない結論になってしまいましたね。(笑)でも人間は便利なものに流されるから結局使うんだろうなぁ・・・

メーカーがスチールカメラの生産を止める時代がすぐに来るかもしれませんね。

写真家 野寺治孝
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