エッセイ エッセイのバックナンバー


突然、幸福論です。3.11以降「本当の幸福ってなんだろう」って考える人が増えているような気がします。一口に「幸福とは何か?」と言っても難しいですよね。アラン(俳優のアラン・ドロンではない)って人が言った幸福論は「どんな状況下でも幸福と思えた人が幸福なのだ」これは難しい! では「あなたは病気で余命6日です」「あなたの子供が事故で亡くなりました」って言われても幸福と思えるのでしょうか? 私にはとても幸福とは思えないでしょう。ですのでとりあえず、この極端な状況は置いておきます。今の未熟な私ではとても結論が出ません。

まずはもっと身近な問題で恋愛を例に考えてみましょう。「好きなA子に振られた。悲しい。なんて不幸なんだ・・・」解ります。失恋は悲しいし不幸な出来事ですね。ところが何年か経って「B子と結婚できることになった。あのときA子に振られて良かった。幸福だ・・・」こんなことは恋愛に限らず人生の中ではよくあります。受験もそうですね。王監督は希望高に落ちて野球したんです。「乗るはずの電車に乗れずに良かった、その電車が事故った」なんてことも聞いたことがあります。ということは「その時の不幸な出来事も実は幸福な出来事だった」ってことですよね。後から解ることですが。だから「思いどおりに行かなくても悲観するな」ってことです。

私は何回も女性に振られました。でも振られたからこそ今のカミサンと結婚出来たのです。希望の高校に落ちました。友人たちは皆受かったのに。しかしその学校で写真と出会ったのです。クラスの仲間にエリック・クラプトンも聞かされました。多分、幸福とは不幸と言う衣をまとったアンコかもしれませんね。

ではお金があれば幸福か?ほとんどの人は「そうです」と答えるでしょう。お金が嫌いな人と会ったことがありません。何でも買える紙です。お金があれば多分違う意味の愛も買えるでしょう。人々は皆、媚を売り、親切にするでしょう。見返りを期待して。好きなミュージシャンを自宅に呼んでコンサートだって出来ます。スカイ・ツリーも待たずに昇れます。って言うか、買って自分の物に出来ます。私なら写真集作り放題。写真展を東京都写真美術館を買占め開催できます。何でも自分の思い通りです。誰も逆らえません。逆らったら札束ビローンで相手は黙ります。だけどそれが幸せとは私には思えません。むしろ不幸ですね。

正直に言えばもう少しお金は欲しいです。ここの所、景気が悪いですし。例えば宝くじが当たって大金(10億位)が入ったとします。多分仕事はしないでしょうね。家族で食っちゃ寝るの毎日です。ちょっと出掛けるのも運転手付きの車で。運動不足です。太って不健康になります。息子は無駄使いし悪い遊びを覚えるでしょう。カミサンは宝石ジャラジャラです。創作意欲も失せ写真家としても輝きを失います。こんなことが幸福とは言えません。

そろそろ結論ですね。幸福とは「子供と遊園地で乗りものを待っているときに交わした会話」「一丸となって何かのプロジェクトを成し得たとき」「とにかく健康」「あなたの笑顔」「5月の光の中、木漏れ日の中を歩いたこと」「海風の匂い」「自動販売のつり銭口に残っていた10円」「パスタが最高の状態で茹で上がったとき」「手の届く範囲の花で花束を作る」「コンビニの店員が初恋の人に似ていたとき」「ここでクラプトンはチョーキングだけでなくビブラートも掛けてたのかが解ったとき」「サイボーグ009と003が恋仲だったと知った日」「見たかった幻の映画がWOWOWで見れたとき」「ミニスカートのきれいな足が見れたとき」「スタバでケーキの試食が出来たとき」「子供がほんの少し大人になった」「写真の真髄に近づけたとき」「幸せな人生だったと思いながら死ねること」「実は自分は皆から愛されていたと知った日」「幸福だと感じずに一日を無事に過ごせたこと」「どこも痛くない日」「こんな文章を書いて誰かが読んで共感してくれたってこと」


写真家 野寺治孝
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