エッセイ エッセイのバックナンバー

 2月のとある土曜日、中学時代の同窓会に出席しました。卒業以来、初の試みなので35年ぶりに会う友人もたくさんいました。あまり変わっていない人、誰だかまったくわからない程変わってしまった人、先生方ももう65歳前後でしたが、とにかく皆元気でした。

 今回の同窓会での撮影は私ではなく、写真館を経営する友人が撮る事になっていたのでカメラも持たずにのんびりと出かけて行きました。しかし、その友人のカメラの調子が悪かったのです。具体的にはストロボを焚いても適正な明るさにならないのです。友人も少々焦って写真館に電話をしスタッフに聞いたりしたのですが解決しませんでした。結局私が家までカメラを取りに戻り、最悪の事態は免れました。あいにくとその友人のカメラはN社のもので私はC社のものしか使ったことがありませんので何が何だかわかりませんでした。大げさに言うと、自転車と飛行機ほどの差がありました。(笑、そんなに差はないか。単に私の知識不足ですね)

 さて、久しぶりに会う友人達との会話はそれなりに楽しいのですが、お互いの近況を話し懐かしさの興奮も冷めてくるとその後の会話が続きません。次々と違う友人や先生方と話をしましたがその違和感は変わりませんでした。その違和感とは何なのでしょうか。私は家に戻ってからもずっとそのことを考えていました。きっとそれは「皆、それぞれの今を生きていて、この35年間の時の重さをいいことも悪いこともひっくるめて背負ってしまっている」要するに、それぞれの道を歩いていて、もうあの無邪気な中学時代のように同じ道は歩けないということです。寂しいかもしれませんがそれでいいのでしょう。それは皆が成長し大人になった証ではないのでしょうか。あのきれいで少し色っぽかったA子さんもすっかり2児のいいお母さんになっていました。不良っぽかったB男君は会社の社長さんです。私の人生に少なからず影響を与えてくれた先生方、今どうやら写真家としてやって行けているのはあなた方のおかげです。ありがとうございました。私は本当に出来の悪い生徒でした。ごめんなさい。皆と会えてうれしかったけれど少し切ない同窓会でした。でも皆と過ごした中学生の頃の青春時代は私のかけがえのない思い出となっています。

 ひとつだけ言えることは先生も含め、皆本気で何かができると思っていました。今その何かができているのか、と言われれば100パーセントではありませんが、私はその何かに向っていると言えます。

 

写真家 野寺治孝
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