エッセイ エッセイのバックナンバー


前号からのつづき。

 当時(28歳)私は仕事で二束のわらじを履いていました。カメラマンと家業の牛乳屋さんです。ある晩、酒に酔った義父に呼ばれました。彼はこのところ町内祭りのいざこざに巻き込まれていて機嫌が悪かったのです。「最近お前は家業に身が入っていない。本当に継ぐ気があるのか」と酒臭い息を吐きながら言いました。私は反発の気持ちもあり、強く「ない」と答えました。「それでどうするんだ」「写真家になる」「食っていけるのか」などとやり取りが続きました。しばらくして義父は「わかった。お前はヤクザ以下だ。出て行け!」と立ち上がるといきなり2階に上がり私の部屋のものを手当たりしだい窓から外へ投げ始めました。私は義父を取り押さえようとしましたがその目を見てぞっとしました。目玉が左右に寄っていて常人のものではありませんでした。階下に飛び降りると母は「やらせておけ」と一言いい正座をしてタバコをふかし始めました。2階では野獣のような叫び声と共に義父が大暴れをしているというのに母は女だてらに肝が据わっていると思いました。とにかく隣町の兄を呼びに行こうと外に出ると近所の人で人だかりになっていました。家を見上げると私の部屋の窓からものが飛んできました。もう修羅場でした。

 兄の家にたどり着き、事情を説明するとすぐに様子を見に行ってくれました。動揺していた私は行く勇気を持てないまま兄の家にいました。しばらくして兄が戻り「今は落ち着いている、お前はとにかく今夜は帰らないほうがいい。泊まっていけ」と言ってくれました。

 翌日の夕方、兄から「もう帰って来ても大丈夫だから」と電話が入り帰って行きました。家に戻ると兄とその友人たちが部屋の片付けをしていました。驚いたことに張本人の義父は現場監督のように片付けの指示をしていました。これには二の句が告げませんでした。さらにもっと驚いたのは一通り後片付けが済んだころ母が「ご苦労様、大変だったね」と皆にビールを出し、寿司まで頼み何事もなかったように慰労会になり盛り上がってしまったことでした。一体なんなんだこの夫婦は。怒りを通り越してもう笑うしかありませんでした。冷静になった義父は「暴れたことは悪かったが言ったことに二言はない。家業を継がないのならば出て行ってくれ」とはっきり言いました。

 私は1週間後小さなアパートを借りました。もう後戻りはできません。こうして写真家としてのスタートを切りました。というより切らざるえなくなりました。「写真がダメならば家業に戻ればいい」という甘い考えがなかったといえば嘘になりますが。今となってみれば義父が暴れたおかげでプロとしてやっていこうという決断がつきました。

次号につづく

写真家 野寺治孝
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