エッセイ エッセイのバックナンバー

 「どのようにしたら写真家になれますか」このことが私に寄せれる一番多い質問なので今回はこのことについて書きます。少々長くなりますがお付き合いください。

 私は牛乳屋の長男として生まれました。実は兄がいるのですが長男なのです。これにはいろいろとあるのですが今回は割愛します。幼少の頃から絵を描くことが好きで牛乳屋のお店のコンクリートの土間いっぱいに白墨で絵を描いては父親から怒られていました。幼稚園に上がる頃にはスケッチブックを買い与えられましたが1日で使い切ってしまい、おまけにはみ出して机の上にまで描いてしまい先生に怒られていました。小学校に入学する頃になると担任の先生から「学校始まって以来の絵の天才」(ポリポリ)と言われていました。中学でもその天才性(?)を発揮し美術の成績だけは常にトップでした。そんなわけでデザイン科のある本郷高校に進みました。この高校には東京を中心とした絵の上手い子がたくさん入学してくるのです。「上には上がいるもんだ」私の伸びた鼻は簡単にへし折られました。「私が天才ならあいつらは神様だ」そんな神様のようなやつがゴロゴロといました。

 成績は何とか中くらいでついていくことができました。3年生になって選択教科があり、なんとなく写真を選びました。これがのちに職業となる運命なんて知る由もありません。授業は主に撮影課題と現像処理です。最初の課題は女でした。5、6人の班を組み原宿に出かけ露天のアクセサリー屋さんの背中越しにお店に来る女性を撮ることにしました。このとき撮った写真をフィルム現像してくれたのが町の写真屋さんY氏です。「君はなかなか筋がいい。うちの写真クラブ集団剣に入らないか」と誘われ入部しました。今でもこのクラブの団員です。当時の他の部員の写真は全てモノクロで少女やおばあさんの逆光の笑顔だったり、森山大道もどきだったりで正直「いい写真とはこんなものなのかなぁ。自分の撮りたいのはもっとかっこいいものなのに」と思っていました。かっこいいものとは当時流行っていた片岡義男さんという小説家の世界観でつまり四畳半と味噌汁の匂いのしない、言ってみればアメリカンナイズされた日本でありながら日本でない世界だったのです。のちにわかったのですが浅井慎平さんの写真といえばわかりやすいかもしれませんね。

 Y氏との付き合いは面白く、ジャズを教えてもらったり写真論を戦わせたりといろいろ遊びながらお付き合いをさせてもらっています。高校も何とか卒業し、にっかつTV映画芸術学院という映画の専門学校へ行きました。高校でデザイン、専門学校で映画を学んだことが今になって生きています。しかし、この頃の20歳の私はまだ写真には目覚めていませんでした。

次回につづく。

写真家 野寺治孝
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