エッセイ エッセイのバックナンバー

 あらゆる分野で物作りをしている人は「いつか完璧なものを作りたい」と思ったことがあるはずです。しかし、その反面「そんなものはできっこない。もしできてしまったら進歩がない。なにをして完璧と判断するのか」

 映画人のチャップリンはこう言いました。「完璧な作品とは次回作だ」ある意味ゴールがないから追って止まなく進歩を続けることに意味があるということでしょう。異論はありません。
 写真に関して言えばどう撮ろうが自由です。答えがありません。作家の意思が答えになってしまいますね。それにも異論はありません。

 マリナーズのイチロー選手がこんなことを言っていました。「このコースにきびしいボールで攻められたら、詰まらせて野手の間に落とすポテンヒットしかありません。それをラッキーでしたねの一言で片付けられるのは残念です。たまたまそこに飛んだのではなくそこへ打ったのです」もちろんそれは天才イチローにしかできない技だと思います。しかし、写真にもそのことが言えるのではないでしょうか。

 写真はシャッターを押せば誰でも撮ることができます。偶然が作品の出来を左右することも少なくはありません。被写体を前にしたときどう撮ろうが自由です。しかしアングル、フレーミング、露出、ピント、場所、時間、天候など全てのものが一致した瞬間に現れる“これでなくてはいけない最高の場所”が必ずあるはずです。まだまだそれを見ることも撮ることも私にはできません。しかし、それに近づくには「完璧はありえないし達成できないからこそ前に進める」と思うより「必ずある完璧なものを撮りたい」と思う強い意志が大切ではないでしょうか。自分が思わなければ近づくことはできません。それが証拠に過去の名作と呼ばれるアートは写真に限らず全て完璧だと思います。時代や人種などすべてのものを飛び越えています。ダ・ヴィンチのモナリザやゴッホのひまわり、音楽で言えばビートルズ。作者本人が完璧と思っていないだけです。

 今回のテーマ「完璧な写真」に合う写真はまだありませんので今時点での「近いかな」と思える写真を掲載させていただきました。今回は少し難くなってしまいましたが、「完璧はありえないと逃げるのではなく、完璧をめざし立ち向かう強い意志を持つ」と自分を戒める意味を含めて書きました。

写真家 野寺治孝
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