エッセイ エッセイのバックナンバー

 旅に出る当日の朝、私はいつも不安になり「飛行機が飛ばなければいいな」とさえ思ってしまいます。その場所へ行きたくて下調べをし、計画を立てたのにもかかわらずそのような気持ちになってしまうのはなぜでしょう。ひとつは飛行機があまり好きではないということもあります。長時間あの狭い椅子に座り続けるのは苦痛です。まるでブロイラーになったような感じです。揺れるのもやはり怖いですね。未知の場所への不安もあるかもしれません。しかし、何回も行っているハワイでさえそうなります。とにかく暗い気持ちでいつも成田空港まで向かいます。飛行機が飛び立ち安定高度に達すれば気持ちも落ち着き、これからの旅を想像し楽しい気持ちになれます。

 旅に出ると「一日は早く過ぎるのに2、3日前の出来事が遠い昔のように感じる」という不思議な時間の感覚になります。これはたぶん自分の中の時間軸が子供の頃に戻るせいだと思います。子供の頃は毎日が新しいものに出会い、未知との遭遇の連続で刺激的でした。大人になり経験をつむとこの感覚は自然と薄まります。しかし、旅に出て初めての場所を見たり感じたりするとその刺激によって子供の頃に戻ってしまうのではないでしょうか。

 私の中にひとつの写真家の理想像があります。それは「今日初めてカメラを持った人になりたい」ということです。これはいつもドキドキして新鮮な目で被写体を見たいということです。なかなかこのような気持ちにはなれません。それは人間は何事にも慣れてしまうという生き物だからです。しかし、旅に出て未知な場所へ行けばかなりこの感覚に近づくことができます。だから旅に出たくなるのでしょう。

 旅の最中も、もちろん楽しいのですが家に帰ってきて写真を見ながら思い出すのがまた楽しいですね。帰ってくる場所があるから旅で、なければただの放浪になってしまいます。案外印象に残るのは名所ではなく普通の街角やカフェ、突然の雨など何てことのない場所が多いものです。自然と写真もそんなシーンが多くなります。

写真家 野寺治孝
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