エッセイ エッセイのバックナンバー

 1991年に結婚をしました。時代はバブル崩壊寸前で、ある日フィルム・ライブラリーからの売り上げが激減したのです。予測はしていましたがショックでした。先輩からは「小銭が稼げる物撮りを覚えろ」と助言されました。私も「作品どころではない。まずは生活のためにそうしよう」と思いました。しかし悩んだ末に考えたのです。「誰にでも撮れる写真なら誰でもいいのではないか。自分にしか撮れない写真を撮らなければこの世界に生き残ることはできない」それからはカメラマンから写真家にならねばと思い決意を固めました。

 その決心を機に憧れのハッセルブラッドとコンタックスを購入しました。私はカメラお宅ではないのでメカ自体にはあまり興味がありません。ただ、「こういう写真を撮るにはこのカメラが必要」と思い購入しました。写真集『TOKYO BAY』はハッセルなくしては成り立ちません。スクエアの中に空気感をも写し撮る描写力、言い訳を許さないそんなカメラです。80m/mレンズ1本で限界を感じていた私に黙って50m/mレンズとアングルファインダーを買ってくれた妻には今でも感謝しています。コンタックスではハワイを撮り、写真集『ALOHA!』として出版しました。後にG1、G2のレンジファインダー機だけでアメリカ・ケープコッドを撮影し『約束の夏』として写真展を開催しました

 95年の秋、息子が誕生しました。初めて無条件で愛するものの存在ができたことに喜びと若干の戸惑いがありました。幼少の頃の自分自身と対面しているような不思議な感覚がありました。その翌年『TOKYO BAY』が念願の写真集になり、まさに喜びの頂点にいました。ところが健康診断で胆石が見つかり入院・手術を余儀なくされました。術後お腹の傷が痛むなかで自問自答しました。「もしこの痛みがなくなるなら写真を辞めてもいいか?」答えは情けないほど簡単に出ました。「辞めてもいい」なぜか肩の荷が軽くなりました。「だったら何もそんなに力を入れなくてもいいじゃないか」と少しだけ悟りました。

 退院後、妻の郷里である富山県を撮り始めました。子供の誕生や病気のことがたぶん影響していると思いますが、富山の風景がとても輝いて愛しく見え始めたのです。まるで原風景を見ているような感覚でした。撮影はハッセルブラッド。フィルムはポジでは色に限界がありましたので、初のカラーネガフィルム(アグファ・ウルトラ50)を使用しました。そして2002年に写真集『帰郷』として出版されました。

 97年頃から建築雑誌の依頼が多くなり『チルチンびと』『コンフォルト』『ニューハウス』などの撮影に携わっています。私は建築写真家ではないので専門家から見るとお叱りを受けるかもしれません。ただ常に“自分にとって気持ちいい場所はどこか?”そこを見つけ撮るように心がけています。カメラはEOSです。レンズは17-35m/mのズームと50m/m、100m/mの3本です。最近では『ナナムイびと』で料理、人物、ライフスタイルの撮影にも携わっています。少しづつですがデジカメの仕事も増えています。デジカメはEOS-20Dです。好むと好まざるにはかかわらず時代はデジタルに突き進んでいます。しかし、大切なことは撮る人の感性だと思います。

写真家 野寺治孝
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