エッセイ エッセイのバックナンバー

 家業の牛乳屋を継ぐつもりで家に入ったのですがいまひとつ身が入らない毎日でした。考えることは昼夜、写真と音楽、女の子のことばかり。義父からは三行半を突きつけられ家を出ました。その晩のことは今でも覚えています。家業を継ぐか継がないかで口論になり、決意もないまま「写真家になる」と大見得をきってしまいました。義父は「わかった。お前はヤクザ以下だ。家を出て行け」と言われてしまいました。1ヶ月後アパートで一人暮らしを始めました。そんな私に初めての仕事が来ました。中古車の新聞折込用チラシの撮影でした。怪しの自称ADと二人で現場に行き、自信がないのでかなりのカット数を撮った記憶があります。ギャラは2万円でした。

 85年頃、ポストカードがちょっとしたブームで東急ハンズや六本木WAVE(懐かしい。今の六本木ヒルズあたりにあった)などで1枚150円で売っていました。友人たちとそれを肴に飲んでいたとき、一人の友人が「浅井慎平よりもお前の写真のほうがおもしろい。カードにしたら売れるぜ」と言った一言でその気になってしまい、恐れ多くもポストカードを自費制作してしまいカード会社へ売り込みに行ってしまったのです。なんとか委託でお店に置いてもらえることになり、3ヶ月で元が取れたら第二弾も決めていました。どうにか元が取れ第二弾を制作しました。セレクトや紙質にはカード会社の意見も取り入れたら次の月には売り上げが100万円近くになってしまったのです。これには会社も私もびっくり。すぐに単独契約を結ばされました。売れるということは多くの人に見てもらえるということです。それを機にフィルム・ライブラリーや別のカード会社などいろいろなところから声がかかってきました。ちょうど時代もバブル突入寸前だったのです。カメラもオート・フォーカスの時代へと突入したのでさっそくミノルタのαシリーズにしました。何か未来を手に入れた感じがしました。

 しかし、その頃の私にはすべて自分の実力としか思えず有頂天になっていたのです。いくつかのフィルム・ライブラリーと契約し、それこそ撮れば売れるという時代でした。心のどこかでは「何かおかしいぞ」と思いながらも、一皿3,000円もするパスタを青山辺りの小洒落たレストランで食べたものでした。今から思えば日本中が浮かれていた時代でした。

 その頃ライブラリーの先輩カメラマンがキャノンのEOSを使っていて、触らせてもらったらミノルタよりも操作性がよく、何よりもAFが早くスムースなので当時の最高機種EOS-1とサブにEOS-10を購入しました。レンズを駆動させるUSMシステムがとても快適でスピードもミノルタの比ではありませんでした。タフでほとんど故障知らずです。ちなみにEOS-1はシャッターを2回交換するほど使い込みました。今ではEOS-1Nと3をメインに使っています。

写真家 野寺治孝
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